2018.7.02

不思議な魅力の島、ザンジバル

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アフリカのタンザニアの東側、インド洋に浮かぶザンジバル(Zanzibar)という島があります。当時の情報や聞いた話では政治的にはタンザニアの一部ということになっています。ですから当然タンザニア人はザンジバルを国内だと思っていますが、ザンジバルの人達は自分たちの島を独立した一つの国だと思っていて一国としての体制をとっています。そこからまず不思議です。タンザニアの都市からの飛行機は国内線として運行しているのに、その飛行機がザンジバルに到着するとイミグレーション(入国管理)でパスポートを提示して入国審査を受けるのです。不思議な現象です。タンザニア人も外国人としてパスポートを出し入国審査を受けます。もちろん島から出る時は「出国」扱いとなります。他のアフリカ諸国と同様に歴史的に色々な背景があります。2000年に私はケニアのナイロビから飛行機に乗り、タンザニアのダル・エス・サラームで国内線に乗り継ぎザンジバルへと向かったのですが、国際線と国内線なのに2回共入国審査を受けました。本当に不思議ですね。(現在でもそうなのでしょうか)

 

さてザンジバルはインド洋らしい青々とした美しい海に囲まれ、そして奴隷貿易時代の名残もありたくさんの遺跡や宮殿跡が散在する興味深い島です。

島の西側にあるザンジバルタウンは一部迷路のようになっていて細い道がくねくねとたくさんあり方向感覚を無くしてしまい、違う道へ入ってもまた同じ場所に出たりします。やっぱり不思議な所です。一方海沿いの町なので海に面した通りは散歩に最適で景色も夕日も素晴らしいです。

ところでザンジバルに入り私が一番驚いたのは、迷路の路地を散策しているとすれ違う人達が私に日本語で「こんにちは!」と声を掛けるのです。おじいちゃんから子供まで、そしてお店に入れば店員もまず「こんにちは」と言います。そして夜に会うと「こんばんは!」と挨拶されました。私が日本人だとわかるのかなと思っていましたが、明らかに欧米人と思われる観光客にも言っていたのです。ある時“地元の人同士がこんにちはと挨拶し合っているのを見た時”はびっくりしました。なんて不思議な島。たまらず地元の人に聞いてみるとだいぶ前に訪れた日本人がここの人に「こんにちは」を広めたそうで、その名残だということでした。そこで私はあることを思い出しました。私がずっと旅をしていた中のどこかで聞いた噂話です。ある日本人のグループが“こんにちは”を世界に広める活動?をしていると。世界中どこでも「Hello」は通じますが、それをHelloから“こんにちは”に変えて世界で定着させようとしていると。え、まさかその噂は本当でそのグループがザンジバルに来たのかなと正解がわからないことに当時は思いを馳せていました。いずれにしても訪れた外国人の言うとおりに外国語の“こんにちは”が自分たちの挨拶として定着するなんて本当に不思議です。まぁ現在でもザンジバルで“こんにちは”習慣があるのかどうかは不明ですが。その当時もその習慣は主にザンジバルタウンの迷路の路地の中だけでしたが。

ザンジバル滞在中は、東側のパジェ(Paje)というとてもきれいなビーチに数日間いてシュノーケリングしたり、自転車レンタルしたり。白い珊瑚の砂とヤシの木が素敵なビーチで海はとても遠浅でした。

又はキジムカジ(Kizimkazi)という所から出る船に乗りイルカの群れを探してイルカに遭遇したら海に入り一緒に泳ぐというツアーに参加したり。

ザンジバルタウンでは夕方になると海岸沿いの広い公園に続々集まって来る屋台でできる大きな夜市でBBQや地元料理を食べ歩いたり、アフリカンダンスショーを観に行ったり、世界で一番美しいサンセットが見られるというテラスでみんなで夕日が沈むのを鑑賞したり。

滅多にできないような体験と楽しい思い出を胸にケニアへと戻る為にザンジバルの空港へと向かいました。手続きを終えた私は出発までの時間カフェタイムを楽しんでいました。小さな空港のそのレストランには心地良いクラシック音楽がBGMで流れていました。ある時ふと、あれ、私この曲すごく好きだけどなんていう曲だったかなとすごく気になりました。そんなにクラシックに詳しい訳ではないのに、これものすごく馴染みがある曲だ、なんか胸にグッと来る、なんだろうなんだろう…どうしても思い出したい。バッハ?モーツァルト?ベートーベン?頭の中ですごく集中して考えていた時、突然私の口が勝手に

「ヘイヘイホー」

と言ったのです。へっ?私今ヘイヘイホーって言った?なんでまた急に?意味がわからない、と思ったのもつかの間、続けて口が

「よさ~く~」

えーーーっ、頭や心とは全く別行動で口が勝手にクラシック音楽?に合わせて歌い出したのです。歌いながらやっと頭が付いて来て、これって「与作」じゃん!となった時の驚きはなんと表現すれば的確だったでしょう。「与作」の曲がオーケストラによるゆったりとしたクラシック音楽調に編曲されて、発売から20年も経った頃に大陸と海をいくつか超えたザンジバルという小さな島の小さな飛行場のレストランに流れていたのです。そんなことってあるんですね。周りを見回しても日本人は私だけでしたから、この曲を聴いてしみじみと母国に思いを馳せたのは私一人なのでしょう。ここで北島三郎の「与作」が聴けるなんて。私は与作の知っている限りの歌詞をなんとか並べて口ずさみながらもじっくりと胸で聴いていました。

ザンジバルには不思議なことがいっぱいあったけれど、最後にこんな幸せな不思議が待っていたなんて。訪れた島から離れるという哀愁の時間に、更に胸がギューっとなりました。飛行機の中でもしばらく私の胸の中で与作が繰り返し流れていました。

ありがとう、ザンジバル。さよなら、ザンジバル。不思議な魅力の島、ザンジバル。

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